相手の変容が全てである。それは熱で判断する

私は、綺麗にまとまった資料などは

あまり意味を持たない。

 

と考えています。

 

と、いきなりこのようなことを書くと、

反感を貰ってしまいそうですが、

 

綺麗にまとめるということは、

受けてにとって必ずしも

良い結果にならない。

 

ということを感じています。

 

なぜまとまった資料が

良くないのかというと、

 

「なんとなく頭が

整理されている【感覚】を

持ってしまう」可能性が

高いからです。

 

綺麗なスライドでのプレゼンを

聞いたことがある方は、

ぜひその内容を思い出して

欲しいのですが、

 

「スッキリしてるなあ」

 

という感覚がある一方で、

具体的な学びの内容について

思い出せる人は

あまり多くないのではないでしょうか。

 

きれいなものを見ると、

頭の中では何となくスッキリとしている

感覚を持つ一方、

 

そこで満足をしてしまう可能性が高いのです。

 

そして、ここからが人の

解釈のすごさの一つになるのでは

ないかと思うのですが、

 

頭が何となくスッキリすると、

そこで思考が止まってしまう

ことがとても多いのです。



逆に、あまりにもデザイン面で

問題がある資料の場合、

 

どれだけ内容が良かったとしても、

「ダメな資料」

というレッテルが貼られてしまう

可能性が高いのです。

 

そう考えると、

作り手が意図して作るべき

作品というのは、

 

ある程度の美しさがあり、

その前提の上で最高の

コンテンツを入れ込む。

 

ということではないでしょうか?

 

その結果として、

相手にとって学びになる

コンテンツにすることが

できる。

 

と思うのです。

 

そして、相手にとって本当に

学びになったかどうかは、

 

感想を見るとすぐに分かります。

 

本当に良い講座というのは、

感想を書く人の熱量が非常に

高いことが多いです。

 

その一方で、きれいなコンテンツの場合、

「良かったです」

といったシンプルな感想になることが多いです。

 

であれば、作品を作る側としては、

どれだけ熱量のある感想が貰える作品を

作るのか。

 

という点に意識を置くことが

大切になるのではないでしょうか?

 

表面の知識で本質を隠す癖がつくと、

そこから抜け出すことができなく

なってしまいます。

 

なぜなら、本質的なものを作ると、

既存の内容との整合性が取れなく

なってしまうからです。

 

長い時間軸で見れば、本質的な

内容を伝えた方が良いのは自明。

 

相手のことをどれだけ考えることができるか。

が人生を成功させる上で非常に大切なことと

言えるのではないでしょうか。